駄目人間は明日も

鬱病を持っている駄目人間が日々吐瀉する徒然エッセイ

親切という名の呪いってあるよね、っていう話

日本人は親切だ。

人には親切にしなさい。

とかとかとか。

子供時代の微かな記憶から現在に至るまで、「親切」という言葉の持つ「圧倒的正義み」は、揺るがぬ強さを持っているように思います。

誰かに対して親切に接する事は、概ね双方にとって心地良い出来事でしょうし、一つの親切が新たな親切を生むといった、喜ばしい循環に繋がる事もあったりして、ほぼ無条件に歓迎されるものでしょうね。

しかしこの「親切」という概念は、時として面倒な人間関係を醸造する事もあったりする点は、見逃してはならない気がします。

多くの場合、深い関わり合いのない人間関係における親切は、面倒な事に繋がるケースが少ないように思います。

誰とも知れない両手が塞がった人に対してドアを開けてあげるとか、そういう系です。

ちょっとした手助け、ちょっとした気遣い、とも言い替えられる親切は、「イイ親切」と言っていいでしょう。

では「良くない親切」って何なの?って話なんですけども、これは明らかに存在していますし、日常生活の中でも頻繁に遭遇する出来事だと思うんですね。

例えばこんな風な。

  • 社長が社員の為に持ってきた「自宅で使わなくなったけどまだ使える加湿器」
  • プロジェクトリーダーがチームメイトを気遣って開いた懇親会、というか飲み会
  • 先輩社員から新入社員に手渡される、自分がかつて使っていた参考資料

なんとなく伝わりますでしょうか。

共通する要素の一つは、「立場が強い(上の)者から提供される、立場が弱い(下の)者への何か」という事です。

彼らは何も、面倒事を押し付けたいという気持ちがあって行動しているワケではありません。

これは概ね間違いないように思います。

しかし残念な事に、自身が親切だと感じて実行したその行為が、相手にとって同様に親切として受け止めらるか否か、という点の確認は為されていないわけです。

良かれと思ってヤったことが必ずしも他人にとって良き事とは限らない、という話ですね。

これ他人の事を冷静に見ている時は誰でも気が付ける気がしますが、自分がその当事者となっている時は、案外気が付きにくいものではないでしょうか。

「良い」と思う事って感覚的に素直なハズですから、わざわざその可能性に疑問を感ずる必要などないわけですから、一見したところは。

しかしそれは勝手な思い込みとも言えますよね。

赤が好きな人がいれば赤が嫌いな人もいる。

これってつまり、価値観は人それぞれ千差万別であるっていうシンプルな話なんですけども、大人になるとその事は忘れてしまう事が増えるようでしてね。

特に、50代に差し掛かろうかというおじ様にはその傾向が顕著な気がしてしまっています。

性差別だと言われようが何だろうがコレには明らかな性差がありまして、女性は幼き学生の頃からこうした価値観による感覚差というものについて、考える機会が男性より確実に多いんです。

グループ内での立ち居振る舞いは女子学生にとって重要テーマの一つですし、友達同士とはいえちゃんと価値の尊重を具体的にシないと、許されない場面があるからです。

もちろんこれは生活する環境によって違いがある事は承知していますが、少なからず日本における女性という立場は、忖度や気遣い、察知、の能力を求められる存在であることは異論ないかと思います。

そうした長きに渡る訓練を経た大人の女性は、概ね「親切」の使い方で大きく踏み外すことが少ないんじゃいかなって思うんですね。

勿論必ずそうとは言い切れませんが、あくまで概ね。

ただ男性は比較的この訓練期間が短い気がします。

部活やその他勤め先の上下関係、得意先との接待など、機会が全くないワケではないのに、どうにも下手なんですよね。

親切心がない、という事を言いたいんじゃないんです、親切が下手だ、と言いたいんです。

言い換えると、相手の価値観に対する察知能力が、ちょっとズレていると言いましょうか。

親切であればソレは些細な問題だろう、と思われますか?

わたしはそうは思えません。

それこそ親切心の押し売りという状況により近づく考え方でしょうし、親切はあくまで相手にとって助力とならない限りは、親切とは認定されませんよね。

ズレた親切、っていうんですかね。

しかも、ズレた親切心もなければないで特に問題化しないのに、「人には親切にすべきだ」というそれ自体はおかしくない価値観の発動によって、出来る限り親切に振舞おうと思えば思うほどズレもまた量産されてしまう不幸もあったりして。

根本が「人に親切にしよう」という良き感情である分余計に、間違いを指摘いずらかったり、立場が弱い者から発信出来ない状況を作りやすいのも、不幸を助長しています。

だからわたしは反発を承知で、敢えて提案したいんですね。

「見知らぬ人への「通りすがりの親切」は良いが、「立場が強い者から弱い者への親切」はみだりにすべきではない」と。

これいかがでしょうね、違和感ありますかね。

誤解が減るし無駄な気遣いや忖度も減るし、物凄く効果があるように思うのですけども。

わたし、冷たい事言ってます?

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