駄目人間は明日も

鬱病を持っている駄目人間が日々吐瀉する徒然エッセイ

髪の毛の事を想ったので書いてみる

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髪の毛が一本落ちている。髪が持つカールの力学に従って、自然なカーブを描いている。多くの場合で、地面や部屋に落ちている髪の毛は、汚さの象徴のように認識されて、摘んで捨てられたり掃除用具の登場を誘発したりする。

そういう髪の毛を見つけるたびにわたしは思う事があります。

それは、数多くまとまった髪の毛の時、つまり頭から生えている時は、美しさを感じたり触り心地を楽しんだりするのに、髪の毛そのものの性質が変わったわけではなくとも抜けて一本になった瞬間から、それまでの扱いとは真逆の立場になってしまうという不思議。

纏まった状態でのみ価値が発生しているかのような感覚。

あまつさえ、自分の髪の毛でさえネガティブな存在だと感じてしまうのだから、そら恐ろしいと思いませんか。

「わたしは、一本の髪の毛だろうか」

「その他大勢と共にある時だけ、わたしは価値ある存在でいられるのだろうか」

「1人になった途端に、履いて捨てられるのだろうか」

人は誰も、その人にしかない価値や存在意義を持って生まれた、なんて聞こえの良い言葉が歌の歌詞に表現されていたりします。

そうあってくれたなら本当に良いとは思うのですが、そうではないという実績、事実は、世間に溢れています。

自ら命を捨てる若者は、こんな事を信じられずにいたでしょうし、その事を気付かせてくれる他人の存在もなかった事でしょう。

1人の苦しさを正しく表現した楽曲に、わたしは出会った事がありません。

髪の毛一本の悲しさは、わたしの孤独を視覚化されたからなんでしょう。

駄目人間は明日も

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