駄目人間は明日も

鬱病を持っている駄目人間が日々吐瀉する徒然エッセイ

他人様を変えようとするの、そろそろ無理だって気がついて欲しい件

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生きていくには、誰かと関わらないワケにはいきません。

この事は、思い出すたびにわたしの気分をほんのりサゲるんです。

でも、流石に慣れました。

毎度サゲられてると、その痛みとか苦しみとか、ネガティブな刺激を感じなくなるんです。

感じなくなると、無いのと同じでしょ。

そうやって、自分にとって、嬉しくない感情とかシチュエーションに、どんどん慣れていってしまえば、苦痛からどんどん解放されていい感じなんじゃないかなって思いませんか。

わたしはよくそう考えるんです。

でも残念ながら、完全にゼロにする事は出来ませんでした。

それは、誰かの存在が関係する場合があるからなんです。

誰かの考え方とか喋り方とか、どうしても自分の好みにフィットしない事ってあるでしょ。

その人は何も悪くないし、なんだったら人間性はすばらしいとさえ思えるくらいだったりするのに、どうしても好きになれない。

そういう人との関わりには、どうにも慣れる事が出来ません。

自分を騙し切れないんです。

感覚をボヤっとさせてやり過ごそうとしても、過敏に不快を感じ取って、しっかり認識させられるんです。

そして、そんなわがままな、利己的な自分に辟易するんです。自分はなんて矮小な人間なんだろうって。

ただ、一つ明らかな理解は、わたしのそうした身勝手な欲求を理由に、誰かの行動とか考え方を変えるのは不可能だ、という事。

ただわたしは当たり前だと感じているこの事を、理解していない人々も多くいらっしゃってね。

どうにかして、自分の好みにフィットするような在り様に、他人を変えようとする人。

わたしはいつもそういう人を見ながら、絶対にその努力は実らないのになあ、って思います。

勝手に達成されないだけならまだ良いんですけども、その努力の発露や、努力が報われない事による怒りの発奮などで、わたしを含む周りの無関係な人に、負の感情をばらまくのは、本当にヤメテ欲しいんですよね。

わたしの気分をサゲるものが、ひとつでもこの世から減ってくれる事を、日々願っています。

駄目人間は明日も

鬱病を持っている駄目人間が日々吐瀉する徒然エッセイ