駄目人間は明日も

鬱病を持っている駄目人間が日々吐瀉する徒然エッセイ

終わってから言うという無意味について言いたい事

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わたしの身の回りだけではないと思うのですが、終わってから何かを言う人をよく見かけます。

ある出来事が起こった後で、それが望ましい事ではなかった時に、自分ならこうした、こうすべきではなかった、なんでやったのか、というスタンスで、アレコレと言葉を積み上げるの。

じゃあその人はその話題に元々しっかり関わっていたのかというと、そうでもなくて、つまり同じ船には元より乗っていないの。

だからきっと、本気で言ってるんじゃないと思うんですよね。

安全な対岸から火の粉がかからないことを自覚した上で、アドバイスした気分であるんじゃないかなって。

でもそれって、本当に無意味だと思います。

起こってしまった出来事はもうどれだけ悔やんでも、どれだけ言葉を尽くしても、消えて無くなる事って無いわけじゃない?

良くても悪くても、もうその事実には関与出来ないでしょ。

出来るのは、今からどうするかっていう、次の行動についてのみでしょ。

次の行動はまだ起こっていないから、充分に関与出来るし、言葉を尽くして、考えて、アドバイスして、サジェストすればいいと思いませんか?

次の行動について言葉を尽くしてくれる人を、わたしは信頼しています。

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