駄目人間は明日も

鬱病を持っている駄目人間が日々吐瀉する徒然エッセイ

それ以外のなにものっていう言い回しについて考えてみた

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言葉の話。かなりつまらない部類の話題なので、気分を弛緩しきってお読みください。

わたしは言葉を大切にしたいと常々感じています。出来る限りは正しい言葉を、正しく使って生きていきたいと思っているんですね。なので、誤用を避けたいのです。

そう思いながら生活していると、当然ながら他人の誤用に意識がフォーカスしてしまいます。ただそのコトを毎度言の葉にあげるわけでもありません。むしろスルーが基本姿勢になっています。

そんなわたしには、いくつかの「ソレおかしくない?」と、ついつい言いたくなってしまう言葉や言い回しがあります。そんな「どうでもいい話」をこのブログに書き込んで供養していこうと思い立ちました。今回はその1回目です。2回目があるかどうかは今のところ判りませんが。

「それ以上でもそれ以下でもない」

こんな言い回しがあります。ある物事について、「きっかり丁度の量である」といった意味を示したい時に使われる言葉です。有名な台詞を引用します。

「今の私はクワトロ・バジーナだ。それ以上でもそれ以下でもない」

こうした表現を耳にすると意図はわかったうえで、わたしは毎度頭の中にもやもやを生み出してしまいます。

「以上」にも「以下」にも今の状態が含まれるのだから、言葉の意味としては「存在しない」とか「概念を超越した神秘的な存在」みたいな意味になってしまう、と思うんですね。

誤用を無粋にも正すなら「「今の私はクワトロ・バジーナだ。それ超でもそれ未満でもない」でしょうか。

もしも誰かが「~以上、~以下」という表現を、「矛盾を孕んだ、しかし現実を超越した不可思議な存在」という意味合いで使っているのを見聞きしたとしたらわたしとしてはシビレルのですが、残念ながらそうした機会にまだ遭遇していません。

言葉は使ってナンボ、伝わってナンボだと思っていますので、ニュアンスや意図が伝わっているのなら、些細な言い回しなど気にしなくてもいいなと、頭では思っているのですけどもね。

かく言うわたしとて、知らず知らずのうちに誤用や誤認をしているコトも多々ありますから、殊更自分が正しいと主張したいわけではない、というコトだけはお伝えしておこうと思います。

駄目人間は明日も

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