駄目人間は明日も

鬱病を持っている駄目人間が日々吐瀉する徒然エッセイ

成功体験のショートカット

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ショートカットの話。わたしは人生における最も貴重なものは「時間」だと思っています。この限り有る資源をいかに効率的に使うか、という事を日々考えています。

 効率化したい理由は、「自分が使いたい時間を無限に使いたいから」です。例えばわたしは音楽を聴く趣味を持っていますが、可能なら無限に聴いていたいのです。しかし現実はそれを許してくれません。ですから、わたしにとって「豊かさを獲得する優先度」の低い行為については、可能な限り全力で効率化し短縮し、好きな行為の為に時間を捻出したいと思っているわけです。

 同じ失敗を何度も繰り返す、というケースをよく見かけます。

 もちろんわたしもそういう事がありますし、人間とはそういうモノだと思っています。ただわたしの考え方としては、失敗した時に「何故失敗したのか」を検証して、タイミング的にはもうどうでも良くなった案件でも、「成功のルート」を一度経験しておくのが良いな、と思っているんです。

 「成功のルート」を未経験のままでは、まだ「成功体験」を手にしていないと思うからです。当然ながらこの場合の「成功」は擬似的なモノですから真の意味で「成功を経験した」とは言えませんよね。それはそうです。

 この時「擬似的成功体験」を経験しておく意味は、次回以降に「そのルートを検証しなくて済む」という効率化の為です。例えて言うなら、数学の公式って毎回毎回そのプロセスを計算して理解しているわけではないけれど、「定理」として結論を覚えておくだけで工程をショートカットしているのに似ていると思います。

 (x+y)^2=x^2+2xy+y^2

 これって覚えれば圧倒的に時間短縮出来ますし、「この形にもっていきさえすれば情報の加工もやりやすくなる」と想像出来るなど、新たなメリットも産まれたりしてなんだか最高だなって思います。

 数学に限らずその他の物事も大体そんな感じがいいんじゃないかなって思うんですね。結論に至るプロセスを全て理解し実行するのは最初の1回だけにして、2回目以降はその最短ルートだけを機械的にこなす、っていう感じ。

 毎度理解する必要はもうないですし。

 心の平穏を得る為に「プロセスを毎度理解し踏みしめながら進みたい」という欲求があるのならその限りではありませんけども、それは極稀なケースなんじゃないでしょうか。

 そうして経験済の出来事は出来るだけショートカットして時間短縮出来れば、見直す時間だって捻出できるかもしれません。

 この考え方をわたしはなかなか気に入っていて、物事の全体を把握する事なく、「一部分だけを取り出すだけで目的が達成される」のなら、進んでその方法を採用したいと思っています。

 本当に理解したい事、本当に逡巡したい事、にこそ時間という貴重なリソースを投下したいのです。

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