駄目人間は明日も

鬱病を持っている駄目人間が日々吐瀉する徒然エッセイ

無理の果てには何があるのか、って話

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無理の話。ついつい引用などしてしまおうと思います。最近は誰でも彼でも「嫌」とか「No」の意味合いで「無理」を使いがちですが、わたしとしてはそれなりに大きな意味を持った言葉だと認識しているのです。 

無理
[名・形動](スル)
  1. 物事の筋道が立たず道理に合わないこと。また、そのさま。「無理を言われても困る」「怒るのも無理はない」「無理な言いがかり」
  2. 実現するのがむずかしいこと。行いにくいこと。また、そのさま。「無理を承知で、引き受ける」「無理な要求をする」
  3. しいて行うこと。押しきってすること。また、そのさま。「もう無理がきかない」「無理に詰め込む」「あまり無理するなよ」

 

わたし、「無理」という言葉の意味が「道理に合わないこと」だと、思っているんですよね。日常生活の中でそんな事を感じるコトなんて滅多にないじゃないですか。だから必然的に使う頻度も低いわけです。

「昨今の言葉が乱れている」なんて事実は今更感があり過ぎてわざわざ言う気にもなっていません。「無理」の用法は時代の流れに任せ切ってしまったらいいと思っています。そんなわたしですが、「無理」だと感じる機会がたまにはありまして、今日がその日でした。

道理に合わないコトをわたしは看過できません。

これはもうなんというか、性質、特質、みたいなものでして「わたしという人間はそういう生き物だ」と言うほか無いのです。

わたしは常に効率を求めて仕事をしています。唯一そのルールを破るとすれば「道理に合わないコト」が発生した時だけでしょう。

誰かの時間的犠牲をはらって成り立つ「無理」を見つけた時は、なんとしても排除しようとしてしまいます。これは半分以上、わたしのわがままだと言えると思いますが、その行動の是非や正当性などを考えるのは、随分以前にやめてしまいました。

何度も逡巡して今の状態に至ってしまったので、自分の中では腑に落ちているからです。

とは言え当然ながら、汎ゆる人にその経緯を説明して回ったわけではありません。時には、なんと傲慢な人間かと思われるコトもあるでしょうね。

これはつまり「汎ゆる人にわたしの考えを伝えるのは不可能だ」という意味だと思います。だからわたしは、正しさよりも気持ち良さを求めるコトにしました。いつもではないんですよ、「無理」を見つけた時だけです。

時々わがままになるわたしを、どうぞお許しくださいまし。

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