駄目人間は明日も

鬱病を持っている駄目人間が日々吐瀉する徒然エッセイ

責任ってなんなんだろうって事を考えてみた

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責任の話。仕事をしている人はこの言葉をよく使っていると思います。頻繁に聴くし言うでしょう。でも責任ってなんなんでしょうか。そんな疑問を持ったコトってありますか。わたしはずっと疑問を持ち続けています。

「責任」という言葉が持つイメージから、まるで心の拘束具のような印象を持っている人が多いように思います。しかしわたしはそうは思っていません。

「責任」とは、「与えられた自由」だと思うんですね。または「裁量」「権限」と言ってもいいのかもしれません。この「自由」とはつまり「選択の自由」じゃないでしょうか。「責任」は「選択の自由」と共に発生するという事になります。

「選択したからこそ責任を取れる」のでしょうし、言い換えれば、「選択していないなら責任の取り様がない」と思います。

ですから、「選択の自由」を与えられていないにも関わらず「責任を取る」のは不可能だと思うんですね。しかし、そんな不可能が求められる場面は掃いて捨てる程頻繁に目にします。

選択したのは別の人、でも困ったコトになったから責任だけ背負わされる。

わたしもそういう理不尽な扱いを受け責任を乗っけられそうになったコトが、ないわけではありません。しかしわたしはそんな時「選択していないので責任は取れません」と言ったものです。そして「今からわたしに選択させてくれるなら、責任は取ります」とも。

というコトはつまり、「責任を取る」とは「選択した結果を望ましい状態に決着させる」という意味だと思っています。

この理屈からいえば「責任を取って辞任する」なんてあり得ません。ちゃんと決着させてから辞めるのならまだしも、事態が炎上している最中にその場を去るのは、無責任極まりないと思いませんか。

「ちゃんと終わらせる」

これって本当に大事だと思います。始めた人の最大の責任は「終わらせるコト」でしょう。終わらせない人が巷に多くて本当に驚くのですけども、立上げヤクザみたいな人はどんな業界でもいるものです。出来るだけ触れずに生きて行こうと思っているのに、わたしはそうした人々との相性がイイのか(絶望)、仕事上で関わる機会がやけに多い気がします。

もしかしてわたしも同じ属性なのでしょうか。

自覚はないので、そんな可能性を想像してゾッとします。わたしは、少なくとも「終わらせたい」と思っているのです。

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