駄目人間は明日も

鬱病を持っている駄目人間が日々吐瀉する徒然エッセイ

2回目の価値について割と真剣に考えてみた

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2回目、という概念の話です。

わたしは2回目の何かというシチュエーションや出来事に注意を払って生きています。

二度あることは三度ある、などという言い回しがあるように、2回目の出来事には何か意味があるかもしれない、と強く思っているからです。

特に自分が与り知らない、コントロール下に無い不測の力学によって引き起こされたような出来事など。

こういう話をすると、ああーあなたは運命を信じる系の人類なんだね、とか言われるコトが多く、そうでも無いんだけどな、と思うのですけども。

わたしの場合はまず、意識がフォーカスする程度なので、2回目の出来事が起きた瞬間、直ちに何かを感じる、というようなコトはありません。

そこまでロマンチックでもないのです。

例えば嬉しいハプニングが2回続いたのであれば、出来れば3回目も起きて欲しいので、2回続いた要因はなんだったのかな?と思考するとか、です。

例えば悪い出来事が2回続いたのであれば、明らかに改善点が潜んでいると思考するとか、です。

根が暗いせいなのか、後者のようなネガティブな出来事の方が、次の行動を特定しやすくて気分が軽いのですけどもね。

なんとかしなくてはならない何かが明らかに存在している、と思えるコトはゴールを探しやすいといいましょうか。

ゴールはもしかしたら無いかもしれない、という懸念を持ちながら行動するのは、とても精神を削られるコトですし。

一方で、1回目に対する評価は低いと言えます。1回目は自分が意図して起こせる場合が多いのと、不意に起きた場合でも単なる事故である可能性が決して低くない、と感じているからです。

1回目は無価値、とまでは思いません。

がしかし、やはり重要なのは2回目だと思うわけです。

日々の2回目に注意してみてください。もしかしたらもしかする、かもしれません。

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