人間は必ず間違いを犯します。
汎ゆる人間が漏れなく間違いを犯します。
「正しさ」などという概念は、わたしにしてみれば殆ど幻のような存在です。
ただ常に間違うワケではありません。
そしてその事実が最大の不幸だと思います。
間違うコトは多くの場合で「恐れられている」と思うんですね。
それは、「出来たら間違いたくない」と思っているからじゃないでしょうか。
どうにかすれば、「間違いを犯す」という危機を回避出来るんじゃないか、と思っているんでしょう。
それは奢りじゃないでしょうか。
わたしはそう思います。
間違うか否かは、やってみなけりゃ判らないでしょうに。
どこまで行っても確率の舞台から逃れるコトは出来ない、それはほぼ真理でしょう。
だったら、間違いを「間違いだ」と認識して、速やかに是正すればいいんじゃないでしょうか。
「間違いを回避する」のは、不可能ではないでしょうがかなり難しい課題のように思います。
だって「間違い」を認識する前なのですから。
ということは、「間違いを恐れる」という状態はあまり意味がないんじゃないでしょうか。
それよりもむしろ、「間違いを犯した時にその間違いを発見しやすくする工夫」を凝らすコトに時間と脳細胞を使うといいんじゃいかなと思います。
または、「間違いを犯した時にそのコトを示唆してくれる友人」を見つけるとかでしょうか。
わたしの場合は前者の手段を採用しています。
といっても、とても簡単なコトを実行しているだけです。
つまり、定期点検をしているだけです。
オススメですよ、定期点検。
それだけで多くの間違いを間違いなく是正出来ますから。
間違いを恐れるな。これは精神論じゃなくて、効率化の話です。