駄目人間は明日も

鬱病を持っている駄目人間が日々吐瀉する徒然エッセイ

人は聞きたい事を聴き、言いたい事を言う生き物だって事を考えた

f:id:sara_pezzini:20190220212345j:plain


皆様お久しぶりです。

年の瀬ですね。

お元気にされていますか。

わたしは年末進行という謎の慣例のお陰で、すっかりくたびれています。

まだ半月のこの調子が残っているなんて、想像しただけで卒倒してしまいそうです。

さてそんなクロックワークの日々で、なんともやるせない気分になる事が散見されます。

やるせない、と言うか残念、と言うか空しい、と言うか。

いずれにせよ、ネガティブな感覚が引きずり出されて、わたしとしてはとても不快なのです。

そんなネガティブの塊を、ブログの海に捨てにやってまいりました。

皆様のお目汚しになってしまう事は申し訳ないと感じていますが、所詮この世は、誰かの不幸と誰かの幸せを交換しあう事で成り立つ、身代わりシステムが設定されているのですから、どうか諦めてくださいませ。

仕事上で起きるコミュニケーション・エラーについては、これまで何度か文章にしてきました。

幾らかの「嘆きの言葉」も添えて。

人と人は判り合えないものなのだな、という認識はもはや完全に腑に落ちたのです。

わたしは自己防衛の理由から「だから人とは分かり合えないままでいい」と悲しき諦念に至ってしまったワケです。

人と分かり合う為に必要な精神エネルギー・コストと時間・コストは、お互いが前向きに支払う気持ちがあってこそ、濃密な人間関係を構築出来るのだと思います。

しかし多くの場合で、そのようになならないものですよね。

本当に残念ながら。

駄目人間は明日も

鬱病を持っている駄目人間が日々吐瀉する徒然エッセイ