駄目人間は明日も

鬱病を持っている駄目人間が日々吐瀉する徒然エッセイ

大人が子供の喧嘩をするのは本当にやめて欲しい件

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喧嘩の話。子供の頃の喧嘩って、潔かったなって思います。大人になってそれなりの立場や責任を持つようになってから、よりそんな風に思います。

大人の喧嘩は見苦しいモノが多いのです。

子供の頃のように「お前が嫌いだ」とか「お前の主張が気に食わない」とか、分かりやすい動機によって諍いの萌芽が発生するのは、生きている以上どうしたって避けようがありません。

他者との関わり合いを完全に拒否する事が出来るような環境を獲得したなら、或いは可能なのかもしれません。

わたしも出来ればそんな生活を送りたいと感じてはいるものの、どの道達成されない夢なのでとうの昔にそのシナリオは諦めています。

ただ諦めるだけではなく、違う環境下でも望む形に近い状況をどうやって作り出すか?という方向の考え方に切り替えたわけですが。

しかし残念ながら、他者との関わりを拒否し切れないままに、無駄に争う人々は数多く存在しています。

そうして、見苦しい大人の喧嘩が生み出されます。

大人の喧嘩が厄介なのは、その動機や真意が表面化しないまま、鬱々と不満や苛立ちが醸造されている点ではないでしょうか。

大人は色々の言い訳を繰り出す事にはそれなりに脳を活用しているので、自分の行動や考え方を正当化するのを忘れません。

しかし根本解決に向けた、コミュニケーション不全の解消など、凡そ前向きだと思えるような事に、その頭脳を使ってくれないのですよね。

陰で悪口を言い合って近親者にネガ・キャンを展開し徒党を組む。

そういう大人は、意外に珍しくありません。

そんな大人達と関わらずに生きていけるならどんなに心穏やかでいられるのかと思いますが、残念ながら現実はシビアです。

だからわたしは、自分が心穏やかに過ごせる環境をどうにかして作ろうと日々考えています。

安寧の巣を作るために。

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